2016/03/23(水)松尾流「人生の歩き方」 #10




 熱い。
 頭のてっぺんから背中にかけてじりじりと焼けるような熱さだ。
 なぜだろうと俺は回っていない頭で考える。俺は、机の上に腕を組み、その上にあごを乗せているようだ。何も見えない。
 これはどうしたことだろう――
 はっと俺は顔を上げる。本能的な恐怖が背筋を走り、走馬燈のように自分の置かれた状況を思い出す。そう今は数学の時間で自分の席は窓側のでいつの間にか意識がなくなっていたということは俺は寝て……
「幸介ぇぇぇぇっ!」
 怒声。
 爆音のように轟き、教室という空間を支配する。それと同時に繰り出される白き弾丸は俺の眉間を寸分違わずロックオンしていた。
 俺は思わずその弾丸――すなわちチョーク――を受け止める。しまった、と思った時には手遅れだった。
 自分の放ったチョークを止められたことでさらにボルテージの上がった『M.K』は、1発目とは比べものにならないほどの速さでチョークを投擲していた。
 もはや、何かが飛んできていると理解することは不可能。
 次の瞬間、眉間にすさまじい衝撃となにかが粉砕する感触。

 俺が覚えていたのはそこまでだった。

 拡散していた意識が収束する。
 俺は、額の疼くような痛みで目を覚ました。思わず額に手を当てると、そこに濡れたタオルが乗っていることに気がつく。
 目を開けてみると、辺りに広がるのは白一色。
 白い天井、カーテン、シーツに枕。どうやら保健室に運ばれたらしい。
 俺が起きたことに気づいた誰かがカーテンの中に入ってくる。養護の先生だろうかと思ったが、それは佳織だった。そういえば、佳織は保健委員だったのだ。
「ん? 養護の先生は?」
「あ、うん。会議に行ってるらしいわよ」
 と言うことは、このタオルは佳織がしていてくれたのだろう。
「すまん。手間かけさせちまって」
「ほんとにそうよ。これ以上馬鹿になられたらどうするのよ」
 睨んでくる佳織が怖い。俺は何も言うことが出来ずに目をそらした。
 ちょうどその時チャイムが鳴った。外が騒がしくなったので終了の合図だろう。
 しばらくすると、がちゃりとドアの開く音がして、優花とシゲが入ってきた。
 シゲは入ってくると開口一番、
「いやぁ、よかったよかった。死んだかと思ったぜ」
 と言った。それには大いに同意する。
 今までもチョークを投げられる生徒はいたが、ここまで速かったのは初めてだった。まさか、俺の身体能力を見抜かれたのだろうか……。そう思うと、ぞくっと背筋に寒気がした。本当に彼の能力は計り知れない。
「あれから、どうなったんだ?」
「あぁ、何事もなかったかのように授業を再開したさ」
 シゲの話によると、額に直撃し粉塵と化したチョークは周囲約2メートルに飛び散ったらしい。それと同時に、俺は気絶して、机の上に授業終了まで放置されていたそうだ。
「ところで、今何時だ?」
「もう昼休みになってるよ」
 そう答えたのは優花だった。
「チョークの被害受けてないよな?」
「すこし、粉がノートにかかったくらいだから大丈夫だよ」
「ならいいんだが。でも後ろでそれだってことは、前の席の方はもっとやばかったんじゃ」
「そうよ、前の席の人なんか頭にかかっちゃって大変だったんだから。後でちゃんと謝りなさいよ」
「へいへい」
 適当に答える。あれからというもの、佳織が世話を焼いてくるようになってきた。好意を持ってくれていることはうれしいがどことなく居心地が悪い。
 強い風が開いたカーテンの隙間に吹き込み、それを揺らす。俺は意識を窓の外へ向けた。
 空は真っ青。わたあめのように白い雲がちらほらと見える。
 ぎらぎらと輝く太陽がグラウンドを灼熱地獄へと変貌させる。汗を流している野球部の部員達が哀れに思えてきた。ワシャワシャとうるさい蝉達のコーラスが聞こえてくる。
 もう7月の中旬、あと数日で夏休みである。
 今年はどんな夏休みになるのだろうか――
 そんなことを考えながらぼんやりしていたら、佳織に頭を叩かれた。
「お!? いってぇな。さっきまで気絶してたってのに」
「ふん。しゃきっとしなさい、しゃきっと。早く昼ご飯食べないといけないでしょ」
「分かったよ」
 そう言って、ふらふらと立ち上がる。まだ、ダメージが残っているのか力があまり入らない。 それを理解したのかシゲが肩を貸してくれた。
 保健室を出る。面倒な手続きは佳織がやってくれているだろう。
 クラスへの帰り際、佳織に声をかける。
「佳織、放課後話がある」

 あの一撃が良い方向に効いたのだろうか、俺の頭にはひとつの考えが浮かんでいた。

 放課後、俺と佳織は体育館裏に来ていた。
 なぜ呼び出したかと言えば、もちろん、この間の告白の決着をつけるためである。
 周囲に人気のないことを確認し、佳織に振り返る。
 佳織は俯いていて、表情を伺うことは出来ない。
「ひとつ確認しておきたいことがある」
 佳織が顔を上げる。
「俺の家がどんな仕事をしてるか知ってるよな?」
「確か、何かの道場だったわね」
 当然のように佳織が答える。
 俺は一息で言いながら、

「――はははっ」
 場違いな笑い声。
 それは佳織が発したものだった。何かに取り憑かれたかのように笑い続ける。
 それを見て、俺は、
 (まさか、狂ってしまったか?)
 と最悪の場合を考える。どうしようもなくて呆然としていると、また佳織に叩かれた。
「うぉ!?」
「本当におかしいんだから。まさか、私が知らないとでも?」
「は?」
 思考が空白で埋め尽くされた。
 瞬間、言葉の意味を理解し、その空白は全て怒りへと変換される。
「どれだけ人が悩んだと思ってんだよ!」
「そんなこと知らないわよ。勝手に悩んでただけでしょう?」
 と言って舌を出す。
「コノヤロウ。ゆるさねぇ!」
 全身から怒りのオーラを噴出させ、叫ぶ。
 が、一瞬で萎んでしまった。なぜなら、佳織がいつの間にか真剣な表情になっていたからだ。
「だから、覚悟は出来てるわ」
「ちょっと、待ってくれるかな!」
 上から透き通るような声。
 ――上から?
 直後。
 ひらりとその正体が地面に降り立つ。
 優花だ。
 彼女は何事もなかったのように俺の方に向き直ると、前向きもなく言う。
「私も幸介君が好きなの」
 やはりどこかズレている。いきなりの発言に、佳織が反応した。
「ちょっと、優花。何言ってるの?」
 優花は振り返って答える。
「私は幸介君が好きだって言っただけだよ?」
 佳織は憮然とした表情になって、
「何で、今、ここで、なのよ」
「だって、このままにしておくのはいやだったんだもん」
 それに佳織が突っかかっていき、優花も負けじと反論する。
 俺は傍観しているしかない。
 そうしているうちにも、俺のあずかり知らぬところで話は進んでいっているようだ。
「どちらかが選ばれるまで勝負よ!」
「わかったよ」
 結局、俺を取り合うという形で決着したらしい。
「俺の意見は、無視かよ……」
 そう呟いたとたん、二人はこちらにがばっと振り返り、
「「じゃぁ決めて(ください)!」」
 と、口をそろえた。鬼気迫る表情が怖すぎる。
「……いや、何でもない」

 ふと、見上げる。
 青い空のキャンバスに飛行機雲が白い直線を引いていく。
 それはグラウンドの白線に似ているが、実は全く異なるものだ。
 分けるのではなく伸びる。
 伸びていく。まっすぐに。
 今までも、選択してきた。
 そして、していくだろう。
 これからも。いつまでも。
 後悔があるかもしれない。
 が、それでも俺は信じる。
 自らの選択と、その心を。

 今までにない夏休みが来るだろう。俺はただ、この日常が続いて欲しいと願うばかりだった。
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