2015/09/25(金)松尾流「人生の歩き方」 #5




 人混みに紛れる。
 今日の仕事は、「最近、街のゴロツキどもが騒がしいので、調査して欲しい」と言ったものだ。
 最近は、そういう街の治安を守るようなことも、するようになった。それだけ、平和であると言えば平和だと言えるのかもしれない。
 夜の繁華街をうろつく。
 ちんぴらがたまに絡んでくることもある。しかし、その瞬間に肉体的に黙らせるので、そこまで邪魔にはならない。
 ひとまず、いくらか、風俗店や屋台などで情報を集めていく。
「最近、どんな感じですか?」
「あぁ、前よりか、荒れてきている気がするよ」
 屋台のじいさんも、そのように感じているようだった。
 3時間ほど情報を集めたが、あまり成果が上がらない。
 これは直接聞いてみるしかないと判断する。
 そうと決まれば、後の行動は決まっている。
 俺は、だらだらと歩き、そこら辺のゴロツキにぶつかってやる。
 当然のごとく、絡んでくる彼をその場で取り押さえ、話を聞くことにした。




 わりとすんなりと、話が進み、大体のことがつかめてきた。
 話をまとめると、このようになる。
「この地域のゴロツキどもを率いているのが、「清水組」らしいがどうやら、そこのお頭の調子が悪いらしい。そのせいで、最下層の統制が効きにくくなっている状態だ。」
 今日の成果としてはそれだけで十分なので、そいつを解放して俺は帰ることにした。

2015/09/19(土)松尾流「人生の歩き方」 #4




 週末。
 街には紙袋やレジ袋などを山ほど持った幸介がいた。
「何でこうなってるんだ?」




「明日、一緒に遊びに行かない?」
 佳織が少し首を傾けつつ聞いてくる。
 金曜日の放課後。
 明日は第2土曜なので、休みである。
 公立の学校では週休二日なのかもしれないが、この学校は第2・第4土曜日以外の土曜日は学校があるのだ。
「どうせ荷物持ちだろう?」
 こいつの魂胆など分かり切っている。
 案の定、佳織は頭をかきながら、
「ばれちゃったかー」
 などと言っている。
「とにかく、俺は荷物持ちだけなんじゃ行かないからな」
「分かってるわよ。ちゃんとその分の借りは返すから」
「どうやってだよ」
「……」
 どうやらそこまで考えていなかったらしい。
「何も考えてないなら言うなよ」
「うぅ。とにかくちゃんと返すから来なさいよ!」
 なぜかキレられる俺。
 と、ちょうどそこに優花が来た。
 なぜ、清水を名前で呼んでいるかというと、
 (いつまでも、名字じゃなくて、名前を呼んでください)
 と言うことだそうだ。
「どうかしたかな?」
 と、佳織は今さっきまでの表情はどうしたのか、平常に戻って、
「明日遊びに行こうかって話してたとこ」
 とたん、優花の目が輝く。
「本当! 行きたいな!」
 佳織はこちらを振り返って、にやりと笑う。
 自分の形勢の悪さを知り、シゲに助けを求める。
「明日遊びに行かないか?」
 が、
「俺パスな」
 あまりにも、素っ気ない。
 俺の表情から、どんな状態にあるのか瞬時に判断したのだろう。
 耳もとで、
「すまん。今度ラーメンおごってやるから」
 と言って、我先にと帰っていった。




 そんな訳で、今のこの状態があるのだ。
「ってか、おい! 少しは持ってくれよ!」
 鍛えているとはいえ、さすがにこの量はきつくなってきた。
「いいじゃない。男でしょう?」
「いや、さすがに限度があるだろ!」
「これぐらいで精一杯なのかな……」
 優花が、残念そうな表情をして言う。
 そう言われると、男というものは馬鹿だ。もう少しがんばろうかと思ってしまう。
「……まだ大丈夫だけど」
「よし、じゃぁ、次行くわよ」
「はいはい」





 その後、また何件か回った後、せっかくだから、ボウリングをして帰ろうかと言うことになった。
 自分のレーンの席に座って、くつろぐ。
 今まで荷物を持ち上げ続けていた腕を伸ばして、少し生き返った気がした。
「ふぅ、佳織からだぞ」
「……うん」
 と言って、ボールを構える姿は、どう見ても危なっかしい。
「重すぎるんじゃないか?」
 と言って、手に持っているボールを奪い取る。
 9ポンド。妥当なところである。
「ひとまず、1ポンド下げてみたらどうだ?」
「分かった」
 一旦9ポンドのボールを戻し、8ポンドのボールを持ってくる。
 少しはましになったようだ。
 次は、優花の番だ。
 彼女の持ってきたボールは10ポンド。
 (小柄な彼女にしては、少し重いのでは……。)
 と、思った俺の不安を打ち消すかのように、1発でストライクを決めてしまった。
「うまいわね」
「うん。ボウリングは昔からうまいの」
「いいなぁ」
 佳織は昔からボウリングが苦手なのだ。
 俺は、疲れはあるものの、やれるところまでがんばろうと思っていた。


 スコア争いは、必然的に優花と俺の二人になる。
 別に、競う必要はないのであるが、やはり、ボウリングというものは競ってこそである。
 一進一退の攻防が続き、ついに10投目。
 優花が先だ。
 今まで見たことがないほどの集中力を見せる。
 まるで別人のようだ。
 結果はターキーでスコアが58本差になる。
 この差をひっくり返すには、ターキーを仕返すしかない。
 気持ちを集中させて、一点をねらう。
 まず1投目。
 ここは順当にストライク。
 しかし、ここで喜んではいられない。
 後、2つ。
 焦る気持ちを抑えて、
 2投目。
 ここも、何とかストライク。
 1本が残りそうになったので焦った。
 残るは後ひとつ。
 もう俺には、ピンしか見えてはいなかった――


 結局、俺は3投目もストライクも出して、2本差で優花に勝つことが出来た。
 しかし、それからというもの、優花がリベンジをしたがるので困る。

2015/08/26(水)松尾流「人生の歩き方」 #3




 夜。
 月明かりに照らされて、四角形が浮かび上がっている。
 塀だ。
 その四角形の中に、瓦屋根の建物が並んでいた。
 屋敷のようである。
 辺りには林があって、黒くしか見えない。
 その屋敷から、時折、声が聞こえてくる。
 かけ声。
 一人の青年が、声を張り上げて稽古か何かをしている。
 上半身は裸で、良く鍛えられていると言うことが見ただけで分かる。
 その動きは、空手のようにも見えるし、太極拳のようにも見えた。
この青年こそが、松尾幸介である。
「よし。今日はこれぐらいでいいだろう」
 その体は汗でびしょびしょである。
 5月とはいえ、まだ夜は冷え込んで肌寒くなる。しかし、松尾にそんなことは関係がなさそうであった。
 彼が稽古していたもの。それは「松尾流」と言うものである。「松尾流」は、松尾家に代々受け継がれている流派で、大昔は一子相伝のようなものであったらしい。
 しかし、何代目かの頭首の時に、体術だけではなく他のものも、と言って、馬術や剣術、呪術なども吸収していき。いつの間にか、一子相伝では伝えられなくなってしまった。
 そのため、今では蔵書が入った倉を開ける方法をまず教え、その後、その蔵書から自ら学んでいくという手法をとるようになったのである。
 とりわけ、松尾が得意としているのは体術で、それ以外はいくつか術が使える程度だ。
 代々受け継がれてきたものであるから、体術でなくとも出来たのだが、体術を中心にしているのは、祖父の影響である。
 元々、「松尾流」というのは、世の中の裏の仕事をしていたのだ。それは今になっても変わらない。
 祖父は、裏の世界では名の知れた暗殺者だったそうだ。
 だが、それと祖父への憧れとは直接には関係しない。


 話は幸介が4歳の頃に戻る。








 夕方。
 今日も林の向こうに太陽が沈もうとしていた。
 辺り一帯が夕闇に染まる頃、祖父が塀を跳び越えて帰ってきた。祖父は門から入ってくるよりも塀から入る方が好きらしかった。
「あ、おじいちゃん」
「今帰ったぞ」
 そう言う祖父は、別に仕事から帰ってきた訳ではない。むしろ、そういう仕事は1年に数回ぐらいなものであって、普段は農家をしていたりする。
 両親は外国で流派の力を使ってばりばり働いているらしい。
「ねぇねぇ。今日もおすもうしようよ!」
 このころの俺は、祖父と相撲するのが好きで、夜になると決まって相撲をしていた。
「あぁ、でも、まずは晩飯を食べてからだ」
「うん、わかった!」
 と、無邪気に笑って、晩ご飯を食べに向かった。




 晩飯を食べ終わった後、相撲をするのは中庭である。
「もういっかい!」
「いいぞ」
 もちろん、4歳の俺がかなう訳がないのだが、それでも俺は飽きもせずに立ち向かう。
 1時間ほどするとさすがに疲れてしまった。
「うーん。やっぱり勝てないや」
 地面に寝転がりながら言う。
「そりゃそうさ。まだまだ、ワシに勝つには10年早い」
 自慢げに歯を見せて笑いかけてくる。
「10年したら勝てるようになるかな」
「そりゃ、おまえのがんばり次第だぞ。幸介」
「がんばるって、どんなふうに?」
「そうだな……」
 祖父は数秒考え込んで、
「よし。今日からワシが毎晩、体術の手本を見せてやる。ちゃんと見て覚えるんだ」
 そう言うと、祖父は体術の基本の型を始める。
 その動きはとても速くて、俺には見えなかった。
「おじいちゃん! 速すぎて見えないよ」
「ん、そうか。すまん」
 祖父のスピードが若干下がる。それでも、ぎりぎり見える程度。
 その動きは、まるで腕や足に命が宿ったかのようである。
 一通り終わって、祖父が話しかけてきた。
「どうだ。すごいだろ」
 まるで子供のような笑みを見せる。俺は祖父のこの顔が好きだった。




 それから毎晩、祖父は相撲が終わってから、体術の型を見せてくれるようになった。
 俺は元々素質があったので、どんどん覚えていった。そして、それを見せると、祖父はあの笑顔を見せてくれた。
 しかし、それと同時に、祖父は第一線を退いた。
 もう、先が長くないのに気づいていたのかもしれない。
 祖父が亡くなったのはそれから1年後のことだった。




 俺は、その時も、祖父の枕元にいた。
 なぜか連絡をした訳でもないのに、両親が帰ってきていた。
「幸介……」
 うっすらと目を開けて、祖父が呼んでくる。
 俺は息を吸う音さえ聞き逃すまいと、そばにに近づいた。
 これが最後だろうと、心のどこかで分かっていた。
「自分を大事にして、自分を信じるんだ」
 その言葉は最期だというのに、部屋中に響き渡るほどの大きな声だった。
 そして、祖父はその言葉を最後に、目を閉じ、二度と開くことはなかった。

2015/06/18(木)松尾流「人生の歩き方」 #2




 放課後。
 グラウンドには、野球部のかけ声が響いている。
 初夏。昼に暖められた空気が、少しずつ冷えていき、街の風景がはっきりと見える。
 そんな中を、俺は清水と共に家路についていた。
 今日はシゲはバスケ部の助っ人に、佳織は部活があるとかで行ってしまっている。
「今日は二人だけか。って、初めてじゃないか」
「そういえばそうだね」
 実は、清水とは今年のクラス替えの時に初めて知り合ったのである。
「すごくとけ込んでるから、全然そんな気がしないよ」
「そうかな?」
 彼女には珍しく思案顔である。
「そうだよ」
 語気を強めて言うと、少しうれしそうな顔をするが、すぐに戻ってしまう。
「でもね」
「ん?」
「やっぱり羨ましいよ。何か、お互いに分かってるって言う感じがするもの」
 その一言に、はっと胸を突かれた気がした。
 俺の気づかないうちに、疎外感を感じていたのかもしれない。
「そうだったのか……。悪かったな」
「そんな気にしなくていいんだよ。ただ、早くそんなふうになりたいだけだよ」
 清水は自分が気まずくしてしまったかと思い、慌てて取り繕う。
「そうだな。それなら、まずはお互いのことを知らないと」
「うん」
「じゃぁ、何か聞いてもいいか?」
「いいよ」
 そういえば、学校での清水は知っているが、家がどうなのかは知らないことに気づいた。
「清水って、何人家族なのか?」
「んと、だいたい50人ぐらいかな」
「50人? ここはアフリカの国々か?」
「ここは日本だよ?」
「そうじゃなくてだな……。まぁいいか。それで、家族構成は?」
「お父さんとお母さんと私かな」
「じゃぁ、3人家族じゃん」
「そうだね」
 今日も絶妙な天然っぷりが発揮されているようだ。
 それにしても少しおかしい気がしたが、無視して続ける。
「家は、マンション?」
「違うよ」
「一軒家?」
「そんな感じかな」
「へぇ、今度遊びに行ってもいいか?」
 何気なく言った言葉だった。
「それはダメだよ!」
 だが、その言葉は、今までの清水の表情を一転させていた。
 緩から緊へと。
 突然の叫びに驚いて、清水を見る。
 その顔には紛れもなく恐怖が浮かんでいた。
「家に行くのそんなにダメだったか?」
「あ、全然そんなことはないんだけど……」
 大声で拒否してしまったことでばつが悪いと感じたのか、目をそらす。
「お父さんがすごく厳しいの。だから、ごめんね」
「なるほど、それなら仕方がないか」
 ひとまず、納得しておく。
「でも、そのお父さんってどんな感じの人なんだ?」
「ん……一言で言えば、『こふう』って言う感じかな」
「古風?」
「うん。昔の伝統とみたいなものとかしきたりとかを守って暮らす。みたいな」
「へぇ、頭堅いんだ」
「うん」
 そうこうしているうちに、いつも分かれる交差点のところまで来てしまっていた。
「じゃぁ、また明日な」
「うん、またねー」
 清水は手を振りながら帰って行った。

2015/05/16(土)松尾流「人生の歩き方」 #1




 朝。
俺は、いつもの通学路の坂道を自転車で駆け下りていた。顔に当たる春の爽やかな風が心地よい。使い古された鞄には「2年5組松尾幸介」と言う名札がついていた。
 季節は5月、この時期になってくるとたまに汗ばむ日もあり、この坂を駆け下りることは、密かな楽しみになっていた。
この坂を抜ければ数分で学校に着くことが出来る。俺は快調に自転車を走らせていった。




 教室に着くと、教室の中には既にほとんどの生徒がいた。朝から男子生徒がぎゃあぎゃあ騒いでいる。
 と、一人の男子生徒が声をかけてきた。
「よう、幸介。今日は早いじゃないか」
「まぁな。いつもはぎりぎりなはずなんだが」
普段通りの会話。
 こいつは、伊藤茂雄。あだ名はシゲ。5ミリの坊主頭がトレードマーク。小学校から、同じ学校で、クラスも同じになったことが何度もある。おかげで俺とシゲは大親友だった。
 ちなみに、シゲは、小柄だが運動神経がいいので、良く運動部の助っ人などをしている。
「今日の宿題は数学だけだよな?」
と、俺は鞄を広げながら聞いた。
「あぁ、確かそれだけだったぜ。急げ。持って行かれるぞ!」
 教壇を見ると、まさに集められたノートが持って行かれようとしているところだった。
 これにはさすがに焦った。俺は慌ててノートを探し出し、生徒を追いかける。
 なぜここまで慌てているかと言えば、数学の教師が恐ろしく怖いのだ。
 『Math.Killer』の名で恐れられている彼は、がっちりとした体つきで、キレるとすさまじく恐ろしい。
 以前、遅れて出しに行ったところ、その場でこっぴどく叱られ、次の授業に遅れてしまい、さらに叱られるという経験をしたことがある。
 そんな嫌な記憶を思い出しつつも、生徒で溢れている廊下を走り抜けた。



 どうやら、ノートを探すのに意外に時間がかかったらしい。やっと追いついた時には、もう職員室の前だった。
「佳織!」
 かなりのスピードで走ってきたため、息も切れ切れである。
 その声に振り向いたのは、ちょうど扉に手をかけようとしていた女子生徒だった。
「ん? あぁ、結局追いつかれたのね」
 ちょっと、残念そうな表情でこちらを見る。
 彼女は、幼稚園からの幼なじみで、西村佳織と言う。小さい頃には、ある家庭の事情で友達の少なかった俺の、唯一の友達だった。
 かなり背が高く、全体的にすらりとしている。髪はロングヘアーで、きりっとした眉毛が特徴的だった。そのおかげでかなり強気な雰囲気がする。
「追いつかれたって、気づいてたのか?」
「いつもぎりぎりで来てるんだから、気づくとかじゃないわよ。せっかく急いで持ってきたのに」
 そう言って、今度は本当に残念そうな顔をする。
「ったく、何も急いで持って行くことはないだろ」
「ふん。それより、早く出さないと知らないわよ?」
 確かに、こんな場所で出そうとしていることがばれたら、やばいかもしれない。
「あぁ、そんなこと分かって……」
 固まった。
「どうしたの?」
 佳織の声が聞こえるが、全く頭に響いてこない。
 彼女の後ろに彼がいたのだ。
 そう、『M.K』が……。


 俺は2時間目に間に合うことだけを祈っていた。




 何とか、1時間目の休み時間に解放された俺は、重い足を引きずり教室に帰ってきた。 机の上に突っ伏し、燃え尽きた体を癒していたところに、佳織が来た。
「えっと……、その……、さっきはごめん」
 と、眉尻を下げて、目を逸らしながら謝ってくる。
 しかし、俺はそれに反応するだけの力はなかった。
 全く反応がないので、怒っていると思ったのだろうか。さらに萎縮して、小声になっていく。
「別に悪気があった訳じゃなくて……、何となく……」
 さすがに、このままにしておくのもかわいそうだと思ったので、
「いいから、ひとまず休ませてくれ」
 と、不機嫌そうに言っておく。
「分かった。本当にごめんね」  
そう言って、佳織は自分の席まで帰って行った。
 やっとこれで休むことが出来る、と思ったところに、シゲがやってきた。
「『M.K』にやられたんだってな」
 面白いことがあったかのような顔をして話しかけてくる。
 俺は、今すぐにでも寝てしまいたい気持ちを抑えて最小限の肯定をした。
 その様子を見て、これ以上は話せないだろうと思ったのだろう。シゲは次の授業の準備をすると言って、自分の机に戻った。さすが、長く付き合っているだけのことはある。
 安心した俺は夢の世界に入っていった。




 何か尖ったものが背中の辺りをつつく感覚で目が覚めた。
 まだ完全に起きていない頭で時計を確認する。
「十二時過ぎ……、って、午前中全部寝てたのか!?」
 ばっちり目が覚めた。
 いきなり立ち上がって大声を出したので、クラス全員の目が集まっている。恥ずかしくなり、慌てて座った。
 授業は既に終わり、昼休みになっていた。どうやら、先生達は憐れんで見逃してくれたようである。
 先ほど誰かが背中をつついていたことを思い出して、後ろの席を振り返った。
 そこには、小柄な女子生徒がいた。
 彼女の名前は清水優花。
茶髪の混じった髪でショートボブ。綺麗さより、むしろ可愛さが感じられる整った顔立ち。小柄だが引き締まった身体をしている。運動部に入っているのだろうが、そんな話は聞いたことがない気がする。
 どうやら、さっきの反応がよほど面白かったのか、涙目になって笑っていた。
「こら、自分で起こしたくせに、そんなに笑うなよ」
「ごめんごめん」
 やっと落ち着いて、涙をぬぐいつつ謝ってくる。
「昼だよー」
「あぁ、昼だな」
「昼だよ?」
「よし。昼飯。昼飯」
 会話が成り立っているのか疑わしい気がするかもしれないが、これでいいのだ。
 彼女は微妙に天然なところがあって、たまにズレたようなことを言う。そこら辺をあわせるのが友達というものだ。
 「昼飯食べるぞー」
 友達同士で集まって食べるのが普通なので、呼び集める。
 ちょうど、シゲが売店でパンを買ってきたので、ちょうど良いタイミングだ。
 集まるのはいつも4人。俺とシゲ、佳織と清水だ。
 いちいち机を並べたりはせずに、俺の周辺の席に座って集まる。
 いつもは学校行事やその他諸々が話題に上ってくるのだが、今日の話題の中心はやはり『M.K』についてである。
「で、どうだったん? 説教は」
 と、シゲが振ってくる。
「んー。まず、ちゃんと間に合うように出せだの。朝ぎりぎりに来るのはやめろだの。朝飯はちゃんと食べてるのかとか。ちゃんと食べないからそんなことになるんだとか。そんな感じだったよ」
 正直、関係のないことまで聞かれて、関係のないところまで説教されているような気がしてならない。
 シゲはそれを聞いて、一度深く頷いた後、
「そうか。でも、まだ説教されるだけましだぞ?」
 と、言った。
「は?」
 あまりにも予想外だったので開いた口がふさがらない。
 すかさず佳織が聞く。
「じゃぁ、もっとひどいとどうなるって言うのよ」
清水も、口には出さないが聞きたそうな目をしている。
「まぁまぁ、そう慌てるなって、ちゃんと教えるから」
 そう言って、説明を始めた。
「まず、『M.K』の行動は3段階あるんだ」
 そういいながら、シゲは右手の人差し指を上げる。
「まず、レベル1。レベル1は今日の幸介みたいに延々と説教をするというパターンだ。このパターンでは精神的にも肉体的にも極度に打撃を受けるけど、ほとんど成績には響かないんだ」
「ふーん。じゃぁ、良かったじゃない」
「良くあるか」
 成績に響かないと聞いて、軽口を叩く佳織に釘を刺しておく。
 その間に、シゲは指を中指立てて、
「次にレベル2だ。レベルには、何か忘れたりして言いに行ったとしても、『もういい』としか言われなくなる。ここまでくると、内申点まで響くこともあるので要注意だ」
「そうかぁ、さすがに内申点に響くとなるとやばいな」
「でも、内申点が落ちて困るような奴はちゃんと出してるさ」
「それはそうなんだが」
 そう言って、佳織を見る。
 佳織は難関の大学を目指しているらしい。直接聞いたことはないが、そんな気がしていたので本当のことだろうと思っている。
 とうの佳織は、こちらの視線に気づくことなく、清水と、
「内申点に響くのか……、ちゃんと出さないとまずいよね」
「そうだねー。忘れたりしたらどうなるんだろう?」
「だから、今その話をしてるんでしょ」
「あ、そうだったね」
 と言う感じの、ほのぼのとした会話を展開していた。
 その流れのまま、シゲが三本目の指を立てる。
「最後にレベル3だ」
 そして、数秒の間を置く。この辺りが技と言ったところなのだろうか。
「レベル3。ついにここまでくるとマスターレベルだ」
 誰かが唾を飲む音が聞こえる「マスターレベルとは言わないだろう」とは、もちろん誰も言わない。
 それだけの雰囲気をシゲは作り出していた。
「レベル3は、もう出さなくても、呼び出されたりしないし、怒られたりもしない。もう、完全に放置された状態になってしまうんだ。こうなると、ほとんど留年は免れられない。この状態になって進級できた人は今までに聞いたことさえない」
 俺は顔を青くしながら聞く。
「本当に留年確定なのか?」
「あぁ。でも、よほどのことがないとそこまでは行かないらしいから、これからちゃんとしてれば、問題ないと思うぞ」
 その一言で場の緊張が解けた。
「それにしても、今の話を聞くと、余計『M.K』が怖くなるよな」
「そうね。これからはあんなことはしないわ」
 佳織がすこしすまなそうな声で言ってくる。
「どうせ、忘れてまたやったりするんだろ」
「しないわよ! 約束は守るんだから」
 きりっとした眉を立たせて怒る。
「分かった分かった」
確かに、佳織が約束を破ると言うことはあまりない。
「でも、この前の小テストの時にノート借りる約束してたのに、貸してくれなかったじゃないか」
 とたんに静かになる佳織。
「そんなこと言っちゃダメだよ。あのときは佳織ちゃんも勉強しなくちゃいけなかったんだから、仕方ないよ」
 清水がフォローするが、それぐらいで引き下がる訳にはいかない。
「約束を破ったことには変わりないだろ」
「でも、借りたとしてもあまり変わらなかったんじゃないかな?」
 清水も引き下がるつもりはないようだ。
「それとこれとは話は別だろ」
「そんなことないよ!」
 どんどんヒートアップしていく二人。それにつれて大声になっていく。
「ちょっと、そこら辺にしておけよ」
 ついにシゲが止めに入る
「黙ってろよ!」
「止めないでください!」
 二人とも大声で叫んで、
 ――気づいた。
 今さっきから、佳織がおとなしいと思っていたが、いつの間にか俯いて耳の辺りが赤くなってしまっている。これは佳織が泣きそうになった時の状態だった。
 (やばい。まさか)
 なぜ泣きそうになっているのか、俺は心当たりがあった。
「すまん。ちょっと」
 今にも、泣きそうになっている佳織を、教室の外に連れ出そうとする。
 心なしか、周囲の目が痛い。
 そういえば、佳織がモテると言うことを、すっかり忘れていた。なかなかの美人と人は言うが、あまりに見慣れているために、そんな気がしないのだった。
 何にせよ人前で泣かすのはまずい。俺は、突き刺さる視線を無視して教室を出ていった。


佳織が泣き出してしまった理由は過去にある。
 俺が自転車に乗り始めた頃だったから、多分、小学校に上がったか上がらないかの頃だろうと思う。
 そのころ、佳織の家では色々なことがあり、ごたついていたようで、夫婦喧嘩のたびに俺の家に逃げてきていた。今ではそんなことはないが、父親が浮気していたりしたのだと聞いている。
 そのことがトラウマになってしまったのか、それ以来、口喧嘩などがあった時、自分が直接関係していなくても、不意に泣き出してしまうことがあるのだ。

 ひとまず、佳織を人通りの少ないところまで連れてくることが出来た。
 もっと別のことで、ここまで連れてきたのなら、色気があるというものなのだが……。
 それはさておき、まずは、ここに来たとたんに泣き始めてしまった佳織を泣きやまさせるのが最優先だ。
「落ち着けって」
 そう言って、肩に手を置く。こうした方が落ち着くのが早いのだ。
 小学校中学年ぐらいまでは、抱きしめてやったこともあったが、さすがにそんなことは出来るはずもない。
「……うん」
 佳織はひとしきり泣いた後、鼻をすすりながら、小さく頷いた。
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