2015/12/17(木)松尾流「人生の歩き方」 #6
暦は6月になっていた。
雨の季節。
空をいくら睨んでも、灰色く分厚い雲が晴れるような様子はない。
「あぁ、今日も体育はバスケか……」
シゲがいい加減うんざりしたのか、意味のない文句を言っている。
雨が降るとグラウンドはもちろん使えないので体育館の中で授業が行われる。
必然的に、男子はバスケ、女子はバレーと決まっているもので、連日雨が続くと、バスケばかりになってしまうのだ。適当に慰めておく。
「まぁ、そう言うなって」
シゲは、飽きっぽいところがあるので、ひとつの部に入ろうとしない。
体育の時間。
体育館を半分に区切って分かれる。
それにしても、シゲはバスケにしろサッカーにしろ、うまい。
並の部員よりも強いぐらいである。
俺のパスを受けたシゲが、3ポイントを決める。
ふと、佳織と優花が気になったので、そちらの方を見てみる。
佳織は……。まぁ、普通と言うところだろう。飛んできたボールを受けるぐらいのことは出来ているようだ。
しかし、問題なのは優花の動きである。
あの小柄な体で、良くあそこまで動き回ることが出来るものだ。
背の高さが足りないのでスパイクをすることは出来ないが、それでも、皆を驚かせるほどの動きはしている。
優花の運動神経の良さを改めて感じた瞬間だった。
そろそろ、中間テストである。
俺と佳織は、試験範囲の復習を学校で居残ってしていた。
「あぁ、全く。面倒だな」
集中力がついにとぎれてしまった。一人で呟いていも空しいだけなので、佳織の方を見る。
こちらが見ていることに気がついていないようだ。たいした集中力である。
「そろそろ帰らないか?」
「あ、いいわよ」
今までの様子が嘘のように、さっさと机の上のものを片付け始める。
切り替えが早いのが佳織のいいところではある。
「今さっきは何をしてたんだ?」
二人分の足音しかしない廊下を歩くきながら言う。
「数学よ。今回の範囲、かなり難しくてきちんと分かってないところがあったから」
「確かに、最近、いきなり難しくなったよな」
うちのクラスの数学はもちろん『M.K』が受け持っている。
彼は通常時でも大声で授業するのだが、気持ちが入ったりするとさらに大声になる。
向かいの校舎であっても聞こえてくるほどである。
「ところで、おまえ傘ちゃんと持ってるのか?」
「それはもちろん持って……」
固まる。
「忘れたのか……」
「どうしよう……」
俯く佳織。
こういう時は置き傘を拝借するに限る。俺は下駄箱のすぐそばにある傘立てを指さして、
「傘立ての傘借りていけばいいじゃないか。どうせ、この時間だからここにあるのはあまりだろ?」
とたんに佳織は苦々しい顔をして、
「そんなこと出来るわけないじゃない。」
そう言われると、困ったことになる。
佳織はどこか芯の強いところがあるので、こういうモラルに関することには厳しいのだ。
「そうすると、俺の傘しかないけど、どうするんだ?」
悪戯をしている子供のような気持ちで、言う。
「俺の傘に入ってもいいんだぞ?」
俺の予想では、反論してくると思っていたのだが、その予想は裏切られた。
「……仕方ないわね」
聞こえてきたのは、やっとのことで出したような声だった。
とても恥ずかしそうにしている。
予想外のことに、面食らってしまった俺は、
「いいから、帰るぞ」
と、やや強引な感じになってしまった。
二人で一緒の傘を使って帰る。
お互いに妙に意識してしまって、沈黙が二人の間を流れていた。
ただ黙々と歩き続ける。
思うことは色々とあったが、一言でも喋ると、どうにかなってしまいそうな気がした。
そうこうしているうちに、いつもの交差点まで来てしまっていた。
2015/09/25(金)松尾流「人生の歩き方」 #5
人混みに紛れる。
今日の仕事は、「最近、街のゴロツキどもが騒がしいので、調査して欲しい」と言ったものだ。
最近は、そういう街の治安を守るようなことも、するようになった。それだけ、平和であると言えば平和だと言えるのかもしれない。
夜の繁華街をうろつく。
ちんぴらがたまに絡んでくることもある。しかし、その瞬間に肉体的に黙らせるので、そこまで邪魔にはならない。
ひとまず、いくらか、風俗店や屋台などで情報を集めていく。
「最近、どんな感じですか?」
「あぁ、前よりか、荒れてきている気がするよ」
屋台のじいさんも、そのように感じているようだった。
3時間ほど情報を集めたが、あまり成果が上がらない。
これは直接聞いてみるしかないと判断する。
そうと決まれば、後の行動は決まっている。
俺は、だらだらと歩き、そこら辺のゴロツキにぶつかってやる。
当然のごとく、絡んでくる彼をその場で取り押さえ、話を聞くことにした。
わりとすんなりと、話が進み、大体のことがつかめてきた。
話をまとめると、このようになる。
「この地域のゴロツキどもを率いているのが、「清水組」らしいがどうやら、そこのお頭の調子が悪いらしい。そのせいで、最下層の統制が効きにくくなっている状態だ。」
今日の成果としてはそれだけで十分なので、そいつを解放して俺は帰ることにした。
2015/09/19(土)松尾流「人生の歩き方」 #4
週末。
街には紙袋やレジ袋などを山ほど持った幸介がいた。
「何でこうなってるんだ?」
「明日、一緒に遊びに行かない?」
佳織が少し首を傾けつつ聞いてくる。
金曜日の放課後。
明日は第2土曜なので、休みである。
公立の学校では週休二日なのかもしれないが、この学校は第2・第4土曜日以外の土曜日は学校があるのだ。
「どうせ荷物持ちだろう?」
こいつの魂胆など分かり切っている。
案の定、佳織は頭をかきながら、
「ばれちゃったかー」
などと言っている。
「とにかく、俺は荷物持ちだけなんじゃ行かないからな」
「分かってるわよ。ちゃんとその分の借りは返すから」
「どうやってだよ」
「……」
どうやらそこまで考えていなかったらしい。
「何も考えてないなら言うなよ」
「うぅ。とにかくちゃんと返すから来なさいよ!」
なぜかキレられる俺。
と、ちょうどそこに優花が来た。
なぜ、清水を名前で呼んでいるかというと、
(いつまでも、名字じゃなくて、名前を呼んでください)
と言うことだそうだ。
「どうかしたかな?」
と、佳織は今さっきまでの表情はどうしたのか、平常に戻って、
「明日遊びに行こうかって話してたとこ」
とたん、優花の目が輝く。
「本当! 行きたいな!」
佳織はこちらを振り返って、にやりと笑う。
自分の形勢の悪さを知り、シゲに助けを求める。
「明日遊びに行かないか?」
が、
「俺パスな」
あまりにも、素っ気ない。
俺の表情から、どんな状態にあるのか瞬時に判断したのだろう。
耳もとで、
「すまん。今度ラーメンおごってやるから」
と言って、我先にと帰っていった。
そんな訳で、今のこの状態があるのだ。
「ってか、おい! 少しは持ってくれよ!」
鍛えているとはいえ、さすがにこの量はきつくなってきた。
「いいじゃない。男でしょう?」
「いや、さすがに限度があるだろ!」
「これぐらいで精一杯なのかな……」
優花が、残念そうな表情をして言う。
そう言われると、男というものは馬鹿だ。もう少しがんばろうかと思ってしまう。
「……まだ大丈夫だけど」
「よし、じゃぁ、次行くわよ」
「はいはい」
その後、また何件か回った後、せっかくだから、ボウリングをして帰ろうかと言うことになった。
自分のレーンの席に座って、くつろぐ。
今まで荷物を持ち上げ続けていた腕を伸ばして、少し生き返った気がした。
「ふぅ、佳織からだぞ」
「……うん」
と言って、ボールを構える姿は、どう見ても危なっかしい。
「重すぎるんじゃないか?」
と言って、手に持っているボールを奪い取る。
9ポンド。妥当なところである。
「ひとまず、1ポンド下げてみたらどうだ?」
「分かった」
一旦9ポンドのボールを戻し、8ポンドのボールを持ってくる。
少しはましになったようだ。
次は、優花の番だ。
彼女の持ってきたボールは10ポンド。
(小柄な彼女にしては、少し重いのでは……。)
と、思った俺の不安を打ち消すかのように、1発でストライクを決めてしまった。
「うまいわね」
「うん。ボウリングは昔からうまいの」
「いいなぁ」
佳織は昔からボウリングが苦手なのだ。
俺は、疲れはあるものの、やれるところまでがんばろうと思っていた。
スコア争いは、必然的に優花と俺の二人になる。
別に、競う必要はないのであるが、やはり、ボウリングというものは競ってこそである。
一進一退の攻防が続き、ついに10投目。
優花が先だ。
今まで見たことがないほどの集中力を見せる。
まるで別人のようだ。
結果はターキーでスコアが58本差になる。
この差をひっくり返すには、ターキーを仕返すしかない。
気持ちを集中させて、一点をねらう。
まず1投目。
ここは順当にストライク。
しかし、ここで喜んではいられない。
後、2つ。
焦る気持ちを抑えて、
2投目。
ここも、何とかストライク。
1本が残りそうになったので焦った。
残るは後ひとつ。
もう俺には、ピンしか見えてはいなかった――
結局、俺は3投目もストライクも出して、2本差で優花に勝つことが出来た。
しかし、それからというもの、優花がリベンジをしたがるので困る。
2015/08/26(水)松尾流「人生の歩き方」 #3
夜。
月明かりに照らされて、四角形が浮かび上がっている。
塀だ。
その四角形の中に、瓦屋根の建物が並んでいた。
屋敷のようである。
辺りには林があって、黒くしか見えない。
その屋敷から、時折、声が聞こえてくる。
かけ声。
一人の青年が、声を張り上げて稽古か何かをしている。
上半身は裸で、良く鍛えられていると言うことが見ただけで分かる。
その動きは、空手のようにも見えるし、太極拳のようにも見えた。
この青年こそが、松尾幸介である。
「よし。今日はこれぐらいでいいだろう」
その体は汗でびしょびしょである。
5月とはいえ、まだ夜は冷え込んで肌寒くなる。しかし、松尾にそんなことは関係がなさそうであった。
彼が稽古していたもの。それは「松尾流」と言うものである。「松尾流」は、松尾家に代々受け継がれている流派で、大昔は一子相伝のようなものであったらしい。
しかし、何代目かの頭首の時に、体術だけではなく他のものも、と言って、馬術や剣術、呪術なども吸収していき。いつの間にか、一子相伝では伝えられなくなってしまった。
そのため、今では蔵書が入った倉を開ける方法をまず教え、その後、その蔵書から自ら学んでいくという手法をとるようになったのである。
とりわけ、松尾が得意としているのは体術で、それ以外はいくつか術が使える程度だ。
代々受け継がれてきたものであるから、体術でなくとも出来たのだが、体術を中心にしているのは、祖父の影響である。
元々、「松尾流」というのは、世の中の裏の仕事をしていたのだ。それは今になっても変わらない。
祖父は、裏の世界では名の知れた暗殺者だったそうだ。
だが、それと祖父への憧れとは直接には関係しない。
話は幸介が4歳の頃に戻る。
●
夕方。
今日も林の向こうに太陽が沈もうとしていた。
辺り一帯が夕闇に染まる頃、祖父が塀を跳び越えて帰ってきた。祖父は門から入ってくるよりも塀から入る方が好きらしかった。
「あ、おじいちゃん」
「今帰ったぞ」
そう言う祖父は、別に仕事から帰ってきた訳ではない。むしろ、そういう仕事は1年に数回ぐらいなものであって、普段は農家をしていたりする。
両親は外国で流派の力を使ってばりばり働いているらしい。
「ねぇねぇ。今日もおすもうしようよ!」
このころの俺は、祖父と相撲するのが好きで、夜になると決まって相撲をしていた。
「あぁ、でも、まずは晩飯を食べてからだ」
「うん、わかった!」
と、無邪気に笑って、晩ご飯を食べに向かった。
晩飯を食べ終わった後、相撲をするのは中庭である。
「もういっかい!」
「いいぞ」
もちろん、4歳の俺がかなう訳がないのだが、それでも俺は飽きもせずに立ち向かう。
1時間ほどするとさすがに疲れてしまった。
「うーん。やっぱり勝てないや」
地面に寝転がりながら言う。
「そりゃそうさ。まだまだ、ワシに勝つには10年早い」
自慢げに歯を見せて笑いかけてくる。
「10年したら勝てるようになるかな」
「そりゃ、おまえのがんばり次第だぞ。幸介」
「がんばるって、どんなふうに?」
「そうだな……」
祖父は数秒考え込んで、
「よし。今日からワシが毎晩、体術の手本を見せてやる。ちゃんと見て覚えるんだ」
そう言うと、祖父は体術の基本の型を始める。
その動きはとても速くて、俺には見えなかった。
「おじいちゃん! 速すぎて見えないよ」
「ん、そうか。すまん」
祖父のスピードが若干下がる。それでも、ぎりぎり見える程度。
その動きは、まるで腕や足に命が宿ったかのようである。
一通り終わって、祖父が話しかけてきた。
「どうだ。すごいだろ」
まるで子供のような笑みを見せる。俺は祖父のこの顔が好きだった。
それから毎晩、祖父は相撲が終わってから、体術の型を見せてくれるようになった。
俺は元々素質があったので、どんどん覚えていった。そして、それを見せると、祖父はあの笑顔を見せてくれた。
しかし、それと同時に、祖父は第一線を退いた。
もう、先が長くないのに気づいていたのかもしれない。
祖父が亡くなったのはそれから1年後のことだった。
俺は、その時も、祖父の枕元にいた。
なぜか連絡をした訳でもないのに、両親が帰ってきていた。
「幸介……」
うっすらと目を開けて、祖父が呼んでくる。
俺は息を吸う音さえ聞き逃すまいと、そばにに近づいた。
これが最後だろうと、心のどこかで分かっていた。
「自分を大事にして、自分を信じるんだ」
その言葉は最期だというのに、部屋中に響き渡るほどの大きな声だった。
そして、祖父はその言葉を最後に、目を閉じ、二度と開くことはなかった。
2015/06/18(木)松尾流「人生の歩き方」 #2
放課後。
グラウンドには、野球部のかけ声が響いている。
初夏。昼に暖められた空気が、少しずつ冷えていき、街の風景がはっきりと見える。
そんな中を、俺は清水と共に家路についていた。
今日はシゲはバスケ部の助っ人に、佳織は部活があるとかで行ってしまっている。
「今日は二人だけか。って、初めてじゃないか」
「そういえばそうだね」
実は、清水とは今年のクラス替えの時に初めて知り合ったのである。
「すごくとけ込んでるから、全然そんな気がしないよ」
「そうかな?」
彼女には珍しく思案顔である。
「そうだよ」
語気を強めて言うと、少しうれしそうな顔をするが、すぐに戻ってしまう。
「でもね」
「ん?」
「やっぱり羨ましいよ。何か、お互いに分かってるって言う感じがするもの」
その一言に、はっと胸を突かれた気がした。
俺の気づかないうちに、疎外感を感じていたのかもしれない。
「そうだったのか……。悪かったな」
「そんな気にしなくていいんだよ。ただ、早くそんなふうになりたいだけだよ」
清水は自分が気まずくしてしまったかと思い、慌てて取り繕う。
「そうだな。それなら、まずはお互いのことを知らないと」
「うん」
「じゃぁ、何か聞いてもいいか?」
「いいよ」
そういえば、学校での清水は知っているが、家がどうなのかは知らないことに気づいた。
「清水って、何人家族なのか?」
「んと、だいたい50人ぐらいかな」
「50人? ここはアフリカの国々か?」
「ここは日本だよ?」
「そうじゃなくてだな……。まぁいいか。それで、家族構成は?」
「お父さんとお母さんと私かな」
「じゃぁ、3人家族じゃん」
「そうだね」
今日も絶妙な天然っぷりが発揮されているようだ。
それにしても少しおかしい気がしたが、無視して続ける。
「家は、マンション?」
「違うよ」
「一軒家?」
「そんな感じかな」
「へぇ、今度遊びに行ってもいいか?」
何気なく言った言葉だった。
「それはダメだよ!」
だが、その言葉は、今までの清水の表情を一転させていた。
緩から緊へと。
突然の叫びに驚いて、清水を見る。
その顔には紛れもなく恐怖が浮かんでいた。
「家に行くのそんなにダメだったか?」
「あ、全然そんなことはないんだけど……」
大声で拒否してしまったことでばつが悪いと感じたのか、目をそらす。
「お父さんがすごく厳しいの。だから、ごめんね」
「なるほど、それなら仕方がないか」
ひとまず、納得しておく。
「でも、そのお父さんってどんな感じの人なんだ?」
「ん……一言で言えば、『こふう』って言う感じかな」
「古風?」
「うん。昔の伝統とみたいなものとかしきたりとかを守って暮らす。みたいな」
「へぇ、頭堅いんだ」
「うん」
そうこうしているうちに、いつも分かれる交差点のところまで来てしまっていた。
「じゃぁ、また明日な」
「うん、またねー」
清水は手を振りながら帰って行った。